自治体行政支援、行政法、民事訴訟法、訴訟事務などの研修講師の事なら「林 勝美地方自治研究所」

プロフィール
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研究業績
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熊本大学法科大学院
熊本大学法科大学院教授として行った最終講義の内容です。

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憲法及び
地方自治法等主張・意見

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道州制研究
11年間の軌跡

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道州制研究から
生まれた提言
11年の軌跡

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ご挨拶

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林勝美のホームページにお越しいただき、有難うございます。  私は、2010年(平成22年) 3月、国立大学法人熊本大学法学部教授、同大学院法曹養成研究科(法科大学院)教授を定年により退職いたしました。熊本大学には、国立大学法人に移行(平成16年4月1日)する以前の、2002年(平成14年)4月1日、公募により法学部教授として採用されました(「教官の公募について」を参照)。その前日までは、東京都総務局法務部訟務担当課長として、東京都を当事者とする行政事件訴訟及び民事訴訟事件等を担当しておりました。(「東京都庁時代」を参照)。
   東京都総務局法務部においては、4代の都知事(美濃部亮吉、鈴木俊一、青島幸男、石原慎太郎)に、1970年(昭和45年)4月1日から2002年(平成14年)3月31日まで仕えたうちの通算20年間、知事の指定訴訟代理人として400件以上の行政事件及び民事訴訟事件本案訴訟の訟務実務を担当してまいりました-【訴訟担当実績】を参照-。 その間、訴訟事件の外に行政不服申立事件も担当いたしました。また、東京都管理職選考試験に合格後、東京都水道局庶務課課長補佐(法務担当)として、労働事件本案訴訟の訟務実務、玉川上水敷地所有権問題をチームとして取り組み敷地所有権は国ではなく東京都(水道局)に帰属するとの水道局としての報告書をまとめる職務に携わった事も、得難い仕事をさせていただいたと感謝しております。

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    ここで、法規・法令事務を担当して、条例・規則の立案実務に携わったことにふれます。
   それは、1970年(昭和45年)4月1日都庁に入庁後、配属先である東京都千代田区総務部総務課文書係法規担当として条例・規則の立案実務を3年間担当すると同時に、争訟担当としても、千代田区を当事者とする訴訟事件の事務担当(区顧問・元最高裁判事:大橋進弁護士(故人)のいわゆる鞄持ちで、「清水谷公園地上権等確認請求訴訟事件」)を、総務局法務部へ異動する1973年(昭和48年)4月まで携わらせていただいたことは、明治初期からの土地所有権制度について大変勉強になりました。また、総務局総務部文書課において2年間公報係主査として勤務したことも貴重な経験となりました。


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    このように、法規、法務、訟務実務に長年携わることとなるきっかけは、私が昭和42年中央大学学術団体連合会中央大学瑞法会研究室への入室(55期生)にあります(「瑞法会研究室時代」を参照)。瑞法会研究室は現在多摩校舎で「炎の塔」と言われている建物に入っているようですが、私の入室当時は水道橋能楽堂の坂を上がった右手の古い校舎でした。同期の多くは法曹になり、岩井重一氏(東京弁護士会会長(平成16年度))、奈良道博氏(第一東京弁護士会会長(平成18年))のように弁護士として、重き役職を経て活躍しています。また、仙台高裁長官を経て人事院総裁に就任された一宮なおみ氏(昭和45年入室・58期生)や、札幌高裁長官に就任された合田悦三氏(昭和51年入室・64期生)の活躍も後輩に勇気を与えることと思います。
   このほか、裁判官、検察官として重要な地位に就いておられる方の存在や、瑞法会の後輩に当たる期の方が、中央大学学長(福原紀彦氏・昭和49年入室・62期生)になっていることも、また、嬉しいことであります。
   ところで、東京都庁に入庁する前日まで(1970年(昭和45年)3月31日)は、総理府(現内閣府)北海道開発庁に勤務しておりました(「総理府北海道開発庁時代」を参照)。
   このように、これまで国、東京都、東京都千代田区に所属して仕事をしてきましたので、基礎的自治体、都道府県、国それぞれの関係について、熊本大学法学部での授業に役立てる事が出来ました。

   ここで、熊本大学法学部教授採用にいたる経緯につき、お世話になった方々への御礼も兼ねて、概要を少し述べさせていただきます。
   都庁入庁後、丸の内の本庁3階にあった「総務局法務部」への異動は極めて厳しいものでしたが、元法務部長の石葉光信様(元東京都主税局長・弁護士・故人)や既に法務部に在職中であった瑞法会先輩木藤静夫様(昭和34年入室・46期)のおかげをもちまして、異動が叶いましたこと、感謝申し上げます。その後、訟務実務を担当するとともに、東京大学社会科学研究所宮崎良夫教授代表の「公法私法研究会」に参加させていただき、勉強させていただきました。その際、この研究会でお会いしました早大大浜啓吉教授主催の「早稲田大学現代政治経済研究所」にも、特別研究員として勉強に参加させていただきました。
   お二人の先生には、深く感謝申し上げます。
   その後、都心商業地の地価高騰から「東京都土地取引の適正化に関する条例」の制定に係る検討委員会事務局に携わったことに伴い、「国土利用計画法と条例(その1)、(その2)」と題する論稿を、園部逸夫先生(当時成蹊大学教授、元最高裁判事)のご指導により発表させていただきましたこと、深く感謝申し上げます。園部先生のご恩に報いることはできませんでしたが、お父上様の園部敏先生(台北帝国大学教授・故人)が旧制五高のご出身でありましたので、ご依頼の厳封された「成績表」をお送り申し上げたことが唯一のお手伝いと思っております。
   熊本大学法学部教授採用までには、都庁法務部の皆様をはじめ、多くの関係者の方々のおかげにより、実現できましたこと大変深く感謝申し上げます。
   熊本大学法学部教授採用にあたりましては、当時の吉田勇法学部長はじめ、教授選考委員会の委員の皆様に深く感謝いたしております。熊本大学時代のことにつきましては、別稿にゆずり、お世話になりました大学関係者に感謝申し上げる次第です。
   熊本大学在職中に、道州制は憲法第92条に違反する(「道州制憲法第92条違憲説」)とする著書『道州制問題の法的視点』(ぎょうせい、2008年)を出版することができました(本著書の「書評」を参照・『道州制の標語『道州制研究から生まれた提言 11年の軌跡』)。関係者の皆様に深くお礼申しあげます。折りたたみパイプベッドを持ち込み、最後の3箇月間にわたって研究室に泊りこんで完成させたことが今では懐かしく、かつ誇らしく思い出します。
   これまでの私の一番の宝物は、熊本大学法学部4年生のゼミ「地方自治法演習Ⅱ」の最後のゼミ生からもらった「寄せ書きと写真」です。
   ここで、第一回生のゼミ生から、最後のゼミ生までに対して、「ありがとう」と申し上げます。
   私の人生の一つの区切りとして、「林勝美人生のギャラリー展」を、2019年(令和1年)8月28日~30日の3日間、東京都中央区銀座六丁目「Salon de G(サロンドジー)」にて開催いたしました。この内容については、このホームページの該当箇所をクリックして参照願います。
   さらに、私にとって大きな出来事は、東京都あきる野市小川の秋川ムサシノビル2階に、「林勝美法務・昭和史図書館」を設立したことです。
これまで50年以上にわたって法律書などを買い求めてきましたが、これらの書籍の内、法務関係図書については、若手研究者や学生のために、大学図書館に無償にて寄贈したいと思っております。
   また、私的には、樺太本斗町出身であり(本斗町の位置と本斗町の生家の写真を参照)、「全国樺太連盟」の終身会員でもありますので、現行憲法の改正には反対であること、特に、憲法9条を改正することには、強く反対しております。私は、憲法改正の議論の前に超党派による議員立法等で、強制調査権・喚問権等を付与した「戦争責任国民会議」(仮称)を設置し、ここで、10年程度かけて諸外国の協力を得て、事実究明と戦争責任について国民自らの手で、明らかにすべきことを、平成25年6月26日(水)全国樺太連盟第65回通常総会(グランドヒル市ヶ谷3階)で、私が発言しました。これに対して西本美嗣会長は、「戦争責任国民会議が仮に創設された場合、会長としては私見であるが理事会に諮った上で参加し、資料も提供する。」との考えを示しました(樺連情報第760号・平成25年8月1日発行・一1面参照。)。このように西本会長は、極めて重要な発言をしております。
   平成27年の年頭のご感想について、天皇陛下(現上皇さま)は、次のように述べております。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々がなくなった戦争でした。(中略)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」
   私としては、『戦争調査会-幻の政府文書を読み解く-』(講談社現代新書)の著者井上寿一学習院大学教授を会長にして、副会長には保阪正康、加藤陽子、寺島実郎、前川喜平各氏の4名とする案を提示します。この5名の方々は歴史認識、識見ともに高く、最適な人選と確信しております。委員は、満州、樺太、沖縄など戦闘各地域から選び、近現代史の研究者は専門委員として、各委員から指示を受けた関係事実を調査する職務に徹するとする機構をとるべきと提案いたします。
   最後に、石原元都知事は、私が熊本大学に勤務中、不当にも古巣の「法務部」を「法務課」に格下げしました。これまで発行していた「東京都法務資料」の廃止も余儀なくされてしまい、これは東京都の法務事務の進展に逆行するものです。法務部復活のため努力を重ねますので、どうぞご協力お願いいたします。